第8回復興i-LANDの開催場所「七ヶ浜町」その2

前回のブログで、第8回目を迎える幣団体(一社)JASIA主催の

「復興 i-LAND(アイランド)」を開催する場所となった「七ヶ浜町」のご紹介をさせて頂きました。


2011年3月11日 震度5強、最高11mを超える津波が「七ヶ浜町」を襲いました.

その「七ヶ浜町」の発災直後の画像を掲載しました。




正直に申し上げると

私は2016年まで震災の映像と画像を見ることが出来ませんでした。


見ると眩暈がするのです。


だからなるべく避けて来ました。


でも

そんな精神状態を奮起させるような事件が起きました。


2016年10月に仙台市県庁前で主催した一大イベント

「第5回 防災・環境保全eco 復興 i-LAND in 仙台」です。

このイベントの前日に「震災6周年記念ORI☆姫隊宮城県内被災地語り部バスツアー」を企画しました。

宮城県内被災地3~4か所をORI☆姫隊が語り部アテンドの役目をしながら回るというバスツアーです。


↑このような企画



実は前回のブログでアップした画像を私に託してくださったのは、当時七ヶ浜町に住んでいた糸久博(前七ヶ浜町議員)さんという方でした。

私は語り部バスツアーの候補地に、「七ヶ浜町」を入れようと糸久さんのもとに訪れました。

糸久さんには前年の2015年に、ORI☆姫隊の復興支援活動が、外務省JAPAN Video Topicsに取り上げていただいた時

七ヶ浜町の元ORI☆姫隊メンバーKARENちゃんの体験談取材の際に、立ち会って頂いたご縁がありました。


しかし、この時すでに糸久さんは青森に住む娘さん家族と同居を決められ、七ヶ浜町から青森へ移転される直前とのことでした。




その時糸久さんは、私に言いました。


「自分の代わりに七ヶ浜の震災を語り継いでください」と。



その時の写真です。


糸久さん、私(中央)、奥様


糸久さんの手元には、七ヶ浜町の震災を生々しく物語る貴重な画像や記事等の資料が膨大にありました。


私には荷が重い。。と弱気になったものの、


無意識に「あの日を忘れない後世へ伝える義務がある。」と書かれた額を受け取っていました。



自分は、この震災を通じて、さまざまな自然災害と人間との関わりをテーマに実践研究し、

被災地の子どもや一人でも多くの人へ伝えていきたいという理念でこの活動をしています。


しかし、


「このまま震災の映像と画像を全く扱えない状態では、震災の真実を多くの人たちに語り継いでいくことはできない」と悟ったのでした。



このような「震災の画像や映像が見れない」方は少なくないのではないかと思いますがいかがでしょうか。



よってこの時から私は糸久さんに後任を任された「七ヶ浜町」の語り部となりました。



お読み頂きありがとうございます。

引き続き次のブログではORI☆姫隊と行った七ヶ浜町での復興支援活動と「第8回復興 i- LAND」の事を書きます。


自宅前








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